郵政博物館と逓信総合博物館

8月の最後の週末、東京スカイツリータウン(R)で開催中の大昆虫展に行った。

カブトムシやクワガタムシを自由に触れるという巨大な虫かごのようなケージの中は、押し掛けた親子らで賑わい、係員たちは殺気立った叫び声をあげていた。巨大なケージに捕らわれていたのはカブトムシやクワガタムシではなく、むしろこの係員や親子らのように僕には思われた。

ごった返した会場を早々に切り上げ、9階にあるという郵政博物館に僕は向かった。そこに引き寄せられたのは、この建物の中ではいかにも人が少なさそう(失礼!)と感じたというのもいくらかはある。けど、やっぱり郵便(というよりは手紙)には、ほとんどロマンと言ってもいいような魅力を僕自身が感じているからでもあるし、なにより昔よく行った逓信総合博物館の思い出が頭をよぎったからに違いなかった。

小学生の頃、しばしば逓信総合博物館の入館チケットが学校で配られた。クラスで5枚とか10枚だったであろうチケットを、僕が毎回もらっていたのは、たぶん人気がなかったのだろう。おかげで、僕は企画が変わるたびに通うようにして博物館に足を運んだのだった。

当時住んでいた小田急線の経堂から博物館があった大手町までは、代々木上原で地下鉄に乗り換えるだけで済み、子供だけでも行ける日常的なレジャーであり、大人の町に子供たちだけで行く小冒険でもあった。

放送と通信と郵政の総合博物館だった逓信総合博物館は、それぞれを司る省庁や公社が合同で設立し運営されていたということを、僕は今回はじめて知った。そこには、未来を夢見、理想を掲げた先達の思いが詰まっていたように、僕には感じられた。

電電公社は民営化され、郵政省が解体された今、郵政博物館は過去の総合博物館と比べ、こぢんまりとまとまったものになっていた。

いつものとおり、別にオチはない。 ただ、かつてのそういう場所や経験が、先達から受け取った贈り物であったとするならば、いい年になった僕らが、次の時代や世代にまたがるような、よい仕事をしているだろうか、そんなことを思った8月最後の週末だった。

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