年賀状のてじまい

あけましておめでとうございます

正月早々に、能登半島で起きた地震や火災、自然災害が招いた日航機がもたらした人災。なにも、よりによって元日に、神も人が悪い。特別なことなどなにも起こらない有り難さをあらためて思う年初めとなった。

年に5回か、いや4回だったかも知れないし、6回だったかも知れない。とにかく通うように巡った能登での思い出を懐かしく、そして切なく思い出す。皆の無事と、まちと暮らしの再興を心から願う。

今回で最後にします、と記された年賀状を受け取るようになったのはこの数年のことで、とりわけ今年は多かった。これまでだって最後の年賀状というものはあったわけだけど、それは、その時点ですでに疎遠になっていたり、あるいは高齢であったり、少し想像すれば、なんとなく腑に落ちる理由で自分を納得させることができるものだった。

宣言とは、説明を拒否することなのだと、僕は思った。

心配を掛けないよう、失礼にあたらないように書かれたであろうことは、もちろん解っている。多くの場合、そこそこ親しいからこそ、そこまで高齢ではないからこそ、丁寧な断り書きであろうことを。

この風潮にコロナ禍を持ち出すのは唐突だろうか。特別なことなどなにも起こらない平穏な日々に馴れていた僕らは、未知の感染症との付き合い方に、多くの労力と神経を使ってきた。この4年の間、一人ひとりに疲れは蓄積し、とりあえず不要不急のことを日常から削ぎ落していく、という暮らしを強いられた。
その暮らしは今も進行中であり、まだしばらくは進行を続けるのだろう。
そして、そこに現れる社会や暮らしを見て、僕らは初めてアフターコロナやポストコロナを語るのだろう。

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