Mさんの報せとH君の近況

不意に、時間のながれの容赦のなさを感じることがある。

ぎりぎりのタイミングで子供らと出国し、なんとか日本に帰国したというMさんからの報せを、僕は移動中の地下鉄の中で受けた。彼女の手紙は節度をもち、けど慈愛に満ちていた。読みながら、僕はほとんど泣きそうになっていた。

ロシア軍がウクライナに侵攻した直後、僕は、件のツアーのキーマンだったH君に連絡を取った。Mさんとは連絡が途絶えて何年も経ったと、H君自身の近況とともに知らせてくれた。近況はあまり明るい話とは言えなかった。もう関わらないでほしいともとれる思いが、そのメールの行間から滲み出ているように、僕には感じられた。H君の穏やかな口調をそのまま書き付けたようなそのメールからは、この10年、あるいはもっと長い時間が僕らの間に横たわっていることを僕に知らしめた。

振り返ってみれば、僕の10年もそれなりにいろいろなことがあった。H君とMさんと僕の間に横たわる時間は、それぞれがそれぞれの10年を、違う方向に向かって、違う早さで歩いてきた、ただそれだけの話だ。今後、僕らの人生は、またどこかで交わるかも知れない。もう交わらないかも知れない。

それでも、こんな一瞬の邂逅はかつての交歓を呼び覚ます。かつての知人が、なにかの折に自分を思い起こしているかも知れないという想像は、明日や明後日を生き抜く糧になることだってあると思う。僕はそう思った。祈りとはそのようなものなのかも知れない、と思った。

とにかく、無事でよかった。

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